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目のおはなし

Vol.20 点字の考案者 ルイ・ブライユ

目のおはなし「Vol. 10 点字を読んでみよう」では、点字のはじまりや読み方などを紹介しました。今回は6つの点の組み合わせによる点字を考案したルイ・ブライユ(Louis Braille 1809-1852)について詳しく紹介します。


 

ルイ・ブライユの生い立ち


ルイ・ブライユは、今からおよそ200年前の1809年、フランスのクーブレ村で生まれました。1812年のある日、当時3歳のルイ・ブライユは、馬具職人だった父親の仕事を真似しようとし、過って錐(きり)で片方の目を刺してしまい、やがて炎症がもう片方の目にもうつり、5歳で完全に失明してしまったと言われています。

ルイ・ブライユの両親は失明した息子にも教育を受けさせました。父親は木ぎれに釘を文字の形に打ちつけた道具をつくり、ルイ・ブライユはその釘の頭を指先で触りながら文字を覚えたと伝えられています。


点字ができる前の文字

当初、ルイ・ブライユは村の学校に通っていましたが、さらなる教育を受けるため、1819年にパリの王立盲学校に入学することになりました。この王立盲学校の生徒たちの間で使われていたのが「浮き出し文字」という、もりあがった線をなぞって文字の形を読み取る方法でした。しかし、この浮き出し文字にはいくつか問題があったと言われています。例えば、単語を1つ読み終えるだけでも時間がかかります。また、浮き出し文字の書物は学校の外には存在しないため、学校を卒業してしまうと浮き出し文字の読み方を忘れてしまう、と話す卒業生もいたそうです。

ルイ・ブライユが12歳となった1821年、シャルル・バルビエ(Charles Barbier 1767-1841)が暗い場所で暗号を伝えるために開発した軍事用の文字が盲学校に導入されました。この軍事用の文字は点と線から構成されているので、浮き出し文字に比べて場所をとらない利点がありました。しかし種類が多く難解なもので、数字や音楽※を表現できないという問題があり、目の見えない人のための文字、というにはまだ不十分でした。

※当時、音楽は目の見えない生徒たちにとって有力な就職分野だったため、音楽を書きとめる手段は重要だったようです。


ブライユ点字の誕生と発展


 

ルイ・ブライユもシャルル・バルビエが考案した軍事用の文字を使っていましたが、目の見えない人にも使いやすい、数字や音楽を表現できる方式に改良しようとしました。ルイ・ブライユは学校の授業の合間を縫い、クラスメートと議論しながら実験と研究を重ね、1825年に6つの点から構成される点字方式を考案しました。4年後の1829年には、この点字方式の解説書が出版されます。こうしてブライユ点字は誕生しました。

卒業後も教員として盲学校に残ったルイ・ブライユは、さらに改良を加え、1837年にブライユ点字を完成させたと伝えられています。ルイ・ブライユが生み出したこの点字は、アルファベットはもちろん、数字、アクセント記号、音楽を表現できるため、目の見えない人々は、文学活動をおこなう手段や、音楽を楽譜として書きとめる方法を手に入れました。

1840年になると、新しく就任した盲学校の校長の方針により、学校内で点字の使用が制限された時期もありました。しかし点字の実用性の高さから、それも長くは続かなかったようです。

1852年、ルイ・ブライユは肺結核により43歳で息を引き取りました。祖国フランスでブライユ点字が正式に採用されたのは、その2年後、1854年のことです。


参考文献:
「盲人の歴史 中世から現代まで」ジナ・ヴェイガン 著、加納由起子 訳、藤原書店
「ルイ・ブライユの生涯 天才の手法」C.マイケル・メラー 著、金子昭、田中美織、水野由紀子 共訳、日本点字委員会
「暗やみの中のきらめき―点字をつくったルイ・ブライユ」マイヤリーサ・ディークマン 著、古市真由美 訳、森川百合香 絵、汐文社


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ニデックでは、有志による日本点字図書館への寄付活動を続けています。また、目の大切さを知ってもらうため、愛知県内の小中学校を中心に出前授業もおこなっています。

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